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専門書を売る

「日本の専門書は安い、もっと高くあるべき」という意見があります。 この意見の背景には、専門書の価格はその価値で決まるかという観点と、出版社は専門書でどう利益を出せるかという観点があるような気がします。 ここでは、それぞれの観点について、個人的に「それって実際のところはどうなの」と思う点を書きだしてみます。

なお、両者の観点は本来は独立に議論できるものではないであろうこと、そもそも自分が観測できる範囲での意見を書きだすだけなので客観性のある議論でもないことに注意してください(自分は主に理工書、さらに言うとコンピューターに関する書籍で仕事をしています)。

専門書の価値で専門書の価格を決められるか

専門書の価格は、そもそも「価値」が何なのかという点に立ち返ると、わりと身もふたもないものになると思っています。 つまり、消費者がある専門書を書店で購入するとき何に価値を見出して対価を支払うのかを思い出そう、ということです。

自分は経済学をよく知らないですが、ある商品が購入されるかは消費者の効用で説明できるというふうに雑に理解しています。 ここで「効用」というのは、専門書の場合、「その本を読むことがどれくらい役に立つか」になりそうですね。

いや、本当にそうか?

多くの場合、ある専門書が実際に役に立つかを個人が判断するには、かなり時間がかかります。 なので、その専門書を読むことが自分の役に立つかどうか、消費者は購入時には判断できないと考えるのが自然です。 どんな商品にも多かれ少なかれそういう要素はあると思いますが、特に専門書を売る立場からすると、消費者がその場で価値を判断しにくいものにお金を払ってもらう、という考え方が基本になるとおもっています。

そういう前提で、他の専門書ではなく自社の本を選んでもらうには、何が決め手になるでしょうか。 本の中身自体で効用を判断できないとすると、多財の間での消費指向を説明する効用関数を決めるのは、見た目の印象(カバーの絵とか)、書名、著者、話題性や世間での評判、入手しやすさ、そして価格などだと考えるのが妥当でしょう。 本という形をとっている以上、「一般的な本の価格」を逸脱することは、他の同様な商品の中から本としては選ばれにくくなることを意味します。

一方で、「専門書の価格はもっと高くすべき」という意見は、専門書の需要が非弾力的、つまり価格が上がっても需要があまり減らないことを前提としているともいえます。 これは、ある専門書を買ってくれるであろう消費者は「その専門書しか同じ効用を得る選択肢がない」という前提と同じです。

仮にこの前提が成立したとして、それでも価格を高く設定しにくい理由は、大きく2つあると考えています。 1つは、そのような前提が成り立っている場合に価格をどこまで高くできるかは倫理的な挑戦であるという個人的な思想です。 読者の足元を見るのはつらいよね、と言い換えてもいいかもしれません。

もう1つは、日本では書籍が定価販売されている商品であるという事情によるものです。 もし「その専門書しか同じ効用を得る選択肢がない」ような唯一無二の専門書を発行したとして、そこで説明されたことは周知の事実となり、より大きな「効用」の別の本が出版される可能性があります。 ここでいう効用が、上記で説明したようなものであることが、定価販売のおそろしさです。 つまり、すでに専門書の需要がはっきりしていて、かつ執筆できる著者に困らない程度に大きな分野であれば、後発の本には「価格を安くする」という戦術も可能になります。 実際、この戦術が見事にはまり、その後の趨勢を決定した事例を知っています(かつてTCP/IPの解説書はすごく高かった)。

そんなわけで、「いい本だから高くていい」という感じには価格を決定しにくい、というのが現状だと考えています。

専門書の収益構造と価格設定

個人の消費行動はともかく、専門書は需要が少ないのだから、市場原理に従って高くあるべきではないか、という考え方もあると思います。 これに対しては、すでに触れたように書籍では価格が固定されていることから、市場原理で最適な価格がおのずと決まると想定するのはそもそも非現実的だと考えています。

とはいえ、専門書の価格をまったく売り手が恣意的に決められるかというと、もちろんそんなことはなくて、一般には原価ベースで価格が決定されていると思います。 *1

専門書の原価は、ものすごく雑に区分すると、だいたい以下のような感じの構成比になっていると考えていいでしょう。 (出版社だけ具体的な割合を書いていないのは、それ以外の配分を決めるのが出版社の仕事であり、自分たちの手元にどれくらい残すかを設計するという役目があるからです。)

  • 著者(原著者や訳者を含む):0%~20%
  • 制作印刷製本:20%~50%くらい
  • 流通:10%~15%くらい
  • 書店:10%~15%くらい
  • 出版社:残り

それぞれの割合に幅がありますが、流通と書店の割合については出版社ごとにほぼ固定されていて、現場では変えようがありません。 したがって、制作および印刷製本にかかるコストでだいたいの価格レンジが決定する感じです。 具体的には、一冊あたりのページ数や色数、一度に印刷製本する冊数、そしてデータを制作する費用などで、おおよその価格レンジが決まるということです。 それに著者へのお支払いの割合を加味したものを「原価率」と考えて、そこから本体価格を決定するというのが、わりと一般的な価格決定のプロセスだと思います。

この原価率が初刷で45%とかを超えてくるのは、個人的な印象ではかなり厳しい本です。 「それなりにヒットしてくれないと自分の給料が出ないぞ」という感じです。 単純に計算すると出版社に残るのが20%以上あるので余裕そうに見えるかもですが、そこから商売に必要なあらゆるコストと自分自身の給料を捻出することになるので、実際ギリギリになります。

もちろん、商品として競争力のある値付けというのも企画の一部なので、その線を超えるべく挑戦する場合もあります。 最終的な書籍の本体価格を引き下げるため、もっともありがちなのは、制作費を抑えたり著者の印税率を減らしてもらったりするという手です。 しかし、潜在的にその本を必要としてくれるところから買い上げの約束を取り付けたり、制作費の援助をお願いしたり、あるいは書店に営業することを前提にして多めの部数を制作することで一冊当たりの原価を引き下げたり、そういう手を模索することもよくあります。

極端な場合、単品では赤字覚悟で企画するという、戦略的な値付けをすることもあります。 たとえば、以下の2つの方針では後者のほうが堅実で理想的だと自分は考えているのですが、前者の戦略をとる出版社も少なくありません。

  • 「なんとなく売れそうなネタだったので10000部つくって安く発売した本だけど1000部しか売れなかった」
  • 「売れ残りが怖いので500部つくって高めで発売し、手堅く最終的に1000部まで売れた」

印刷製本では大量生産の原理が効くので、たとえば1000部の印刷製本にかかるコストの2倍で作れる本は2000部ではなく10000部だったりします。 うまいこといって売れるかもしれないから一度にできるだけ多く作って原価率を大きく引き下げ、だめでも廃棄したほうがトータルで安上がりになる、という勘定もあるのだと思います。

実際、そもそも日本全国には1000前後の書店があるので、それらに数冊ずつ配本するだけでも数千部が必要です。 仮に潜在的にその本を必要としている人が全国で1000人だったとしても、その1000人が書店の店頭で本が買えるようにしようと思ったら、廃棄を前提に数千部を作るしかないということです。 全国で1000人しか需要が見込めない本を企画するのがそもそもおかしいという考え方もありえますが、専門書を出版するとはそういうことです。 もちろん、そういう本の企画だけで事業を続けることはできないので、「企画の点数と幅を増やして大きなリターンが発生する可能性を高める。リターンが出ないとジリ貧になるが、たまにヒットが出てしのぐ」という形で商売を続けているところが多いだろうとは思っています。

幸いコンピューターの本は、専門書のなかでは「うまいこといって売れるかもしれない」の可能性がそこそこある分野でもあるので、比較的やりやすいほうな気はします。 逆に、そういう傾向があることで、特に多めの部数が期待しやすいエントリー系の本だと「原価ベースで決まる価格レンジ」よりやや低いところに競争力がある価格帯がきているなと感じることもあります。

いずれにせよ、需要が少ない専門書が「そこそこの価格」で手に入る背景には、こういう原価(率)ベースでの価格決定の習慣があるというのが、ここでの主張の要約になります。

インターネットの時代に専門書の需要はあるのか

いまは、専門家である執筆者が直接自分で情報を発信できる環境が整っています。 そんななかで、「全国で高々1000人くらいにしか需要が見込めない本」を「そこそこの価格」で販売する出版社として生きていくことができるのか、当事者としては正直めっちゃ不安です。

ただし単純に悲観しているわけではなくて、むしろ「専門家である執筆者が直接自分で情報を発信できる環境」が広がっていること、それも無償で手に入る形で広がっていることには希望も感じています。 それは、「専門家である執筆者が直接自分で発信している専門的な情報」が、専門書にとっては代替財ではなく補完財だと思っているからです。 一般にミクロ経済学では、代替財が安くなれば需要は下がるものの、補完財が安くなると需要は上がるとされています。 であれば、補完財であるところの「専門家である執筆者が直接自分で発信している専門的な情報」がインターネットに無償であふれるほど、専門書の需要もそれだけ大きくなるはずです。

よく考えるまでもなく、専門書を買ってくれる人というのは、専門家そのものだけでなく、その分野にちょっとでも興味がある人すべてなんですよね。 そして「専門分野にちょっとでも興味がある人」は、どう考えてもインターネットのおかげで増えています。 かつては大学や大学院などに入ってはじめて存在を認識するような分野のこと、そこでどんな専門書が読まれているのかという知見、そういう情報が増えるほど、その専門書を求める人も増えると考えるのは自然でしょう。

実際、すでに専門書のバラエティーはここ10年でかなり増えていると感じています。 分野によっては、もはやレッドオーシャン化しているものもあります。 そこで出版社としてどう戦っていくのかは、また別に考え続ける必要がある難問です。 とはいえ、解説のわかりやすさを上げること、著者と出版社の権利関係の在り方の見直し、補完財たる「専門家が自分で無償で発信する情報」に重なる要素の無償化、そして需要の増加に応じた価格設定のあり方などが糸口かなと思っています。 最近になって専門的な内容の新書が増えて単価も上がり、その一方で電子版をセールでばらまいているようなムーブには、こういう大きな潮流があるんじゃないかな。

*1:出版社として書籍の原価を考えるときは、売れようが売れずに返品されようが支払いが必要になる制作や印刷製本のコストと、売れた分だけを支払うことが前提の印税とはわけて考える必要があるので、以下の話は自分が企画時にざっくりと念頭において考えている感覚の話であり、決算時に計算するような原価の話ではありません。