ほぼすべての個人が専用の情報端末を持ち歩く社会でありながら、印刷製本された「紙書籍」というパッケージの形で知識や物語に接することを好む人がまだまだ十分に多く、その小売りに特化した店舗が「書店」として成立できていた2024年、それでも年々縮小する需要の前に小規模な書店はすでに次々と姿を消し、紙書籍を求める人たちの受け皿として役割を果たしていたのは都市部に残された大型書店だった。それら大型書店の広大な店頭には無数の紙書籍が並び、しかもそれは毎日のように増大していく。なぜなら紙書籍は、それを生み出すことを生業とする出版社にとって、たとえ読者の手に渡ることがなくても流通に載せさえすれば収益になる商材でもあったからだ。産業の末路である。
紙書籍を好む人の多くは大型書店が好きだったと思う。コンセプトが明確でエッジを効かせた小規模書店への憧れはあるけれど、必ずしも選書や店主が個人のバイブスに合うとは限らず、そもそも互いに内容が無関係のタイトルが無数にあって共通してるのは紙書籍というパッケージの形くらいという商品特性もあって、どうせなら一か所に全部集まってくれているほうがうれしい。大型書店には、あまたの紙書籍を自分の目で自由に選ぶ楽しさがある。
とはいえ、大型書店は文字通り大型だ。自分が求めているタイトルがすでに具体的に決まっている場合に大型書店でそれを探し出すのはかなりしんどい。比較的最近発行された紙書籍であれば店側もそれなりに見つけやすい位置に配架してくれているけれど、そうでない紙書籍を大型書店の何百本もの棚を行ったり来たりしながら何時間も睨んで探していると、足も眼も痛くなる。より深刻な問題として、お腹が痛くなる。最後には仕方なく店員さんに声をかけたり、店頭の在庫検索端末にタイトルを打ち込んだりする。しかし、紙書籍のタイトルの文字列を正確に覚えていられる人や、メモを持ち歩けるような人ならともかく、あやふやにしか覚えてなかったり、あまつさえ装丁の雰囲気でしか把握してなかったりすると、恥ずかしい思いをしたり、端末の前でまごまごして気まずい思いをしたりすることになる。紙書籍を大型書店で探すのは、時間も肉体も精神も酷使する贅沢な活動なのだ。
こうした不快さを回避する手段として、紙書籍が好きで大型書店をよく訪れていた人の中には、もっぱらオンライン書店を利用するようになったという人が少なくないように思う。でもそれでいいのだろうか。いやむしろ大型書店はそれでいいのだろうか。よくないだろう。
こうした大型書店の顧客体験をかなり改善するサービスとして、honto withというスマホアプリがあった1。スマホは紙書籍という商品にとって、可処分時間を奪い合うという意味で競合だろう。さらに店舗という小売り形態からすると、電子書籍のプラットフォームという意味でも競合になる。紙書籍の内容をカメラで撮影するといった行為も防がなければならない。それでも来店時に顧客が手にしている可能性が高いスマホは、もっぱら紙書籍を扱う店舗であったとしても、快適な顧客体験を提供する手段としては活用できる。honto withはそういう事実を正しく認識した人たちが開発したであろう、大型書店を頻繁に利用するユーザにとって痒い所に手が届くアプリだった。
honto withのどのへんがよかったのか、ぼく個人の使い方の一例を紹介しようと思う。
まず、自分は紙書籍のタイトルをツイッターやBlueskyで知ることが多いのだが、気になったタイトルを見掛けたらとりあえずhontoのWebサイトで検索して「ほしい本」として登録しておく。ここでは登録をするだけで購入はしない。
後日、丸善かジュンク堂に行ったら、スマホを取り出してhonto withアプリを立ち上げる。すると「欲しい本」タブが開いて、そこに過日「ほしい本」として登録していたタイトルたちがずらっと出てくる。明確な目的もなくふらふら店内を徘徊するのも悪くはないんだけど、「ああ、これこれ、この本が気になってたんだ!」というシグナルがあると、それだけでテンションが爆上がりする(前提として、丸善やジュンク堂に入るときには欲しい本が具体的に脳内にあるわけじゃなく、ただなんとなく大型書店を楽しみに行っているので、来店時に「ほしい本」に登録してた紙書籍のことはだいたい意識していない)。
honto withの「欲しい本」タブにはタイトルと書誌情報しかないので、これを店内を歩き回って探さなければならない。よくいく店舗のよくいく棚であれば、なんとなく土地勘があるので迷わず探せたりするけれど、「欲しい本」タブにそんな本はあまりない。しかしhonto withでタイトルをクリックして個別の商品ページに行くと、そこに「近くの書店で探す」というメニューが出る。
このメニューを開くと、あらかじめ登録しておいた書店や現在地の近くの書店が表示されて、「その書店に在庫があるか、在庫がある場合はどの棚にあるか」が示される。あとは自分がいる書店でその棚に行き、そこから本を探し出せばいい。もちろん、棚が判明してもその棚には別の本もいっぱい並んでいるので、それほどさくっと目的の本が手に入るという利便性はないわけだけど、むしろその過程で周囲にある他の紙書籍のタイトルを眺めたり手に取ったりしたいから大型書店に来ているんだよ!
honto withは、アプリの挙動や導線から察するに、この自分のような大型書店の使い方をしている人のユースケースをだいぶよく検討したアプリだったと思う。さらに、honto自体の機能として書店での取り置きができたり、店頭で購入したタイトルが自動的に管理できたり、溜まったポイントで電子書籍を入手できたりもして、これらも地味に「書店で紙書籍を買う」という体験を高めてくれるものだった。店頭にある紙書籍の現物のバーコードを撮影してそこから「ほしい本」に追加するという導線まであった。まさに紙書籍の店舗に求められる理想的なDXの姿のひとつだったと言っていいと思う。
でも残念ながらhonto withは2024年5月31日でサービスを終了するという発表があった。紙書籍の通販はすでに終了していたので予兆はあったとはいえ、アプリごとなくなるとは思っていなかった。Webブラウザで利用できるhonto.jpの機能はどうなるかわからないけれど、棚まで明示してくれる機能はいまでもhonto withにしかないので、少なくとも上記のような使い方ができなくなることは確定だろう。せめて登録している「ほしい本」だけは引き続き閲覧できるようであってほしい…。
いろいろ事情はあるはずだし、一利用者としてはもっと前にこういう使い方を示して少しでもユーザー増に貢献すべきだったかみたいなことを思わないでもないけれど、店舗でオープンに販売されている紙書籍を手に取って購入するという文化の一つの頂点にいまいるのかもしれないと感じたので、記録のつもりでhonto withのことを書き残しておくことにしました。honto withの開発と運営に携わってこられた皆様、ほんとうにありがとうございました。